技術研究所の (あ) です。
仕事始めの日にして新年最初のブログ更新日、ということで何か夢やわくわく感のある話を書きたいなぁ、と考えました。
わくわく感、と言えば “Sense of Wonder”。
Sense of Wonder といえば SF、そして科学。
そんなわけで、科学や SF の楽しさについて書きたいと思います。
SFというと、新作が封切られた映画の「スター・ウォーズ」や、ちょっと前の「ブレードランナー2049」のようなものを思い浮かべる人も多いでしょう。「もっと“科学”成分が高くないと」と思う人も少なくないでしょう。藤子・F・不二雄のSF短編集作品の場合は「Sukoshi Fushigi (少し不思議)」と称してます。「SFって、何?」というのは終わらない議論のネタの一つなので深入りしませんが、ここでは SF (や、その周辺) の中でも「科学の楽しさ」が伝わってくるタイプのものを取り上げます。
科学とは何でしょう?
昨年話題のマンガの一つ、週刊少年ジャンプ連載の “Dr. Stone” にこんなセリフがあります。
「科学にはわからないことがある」じゃねぇ。
わからねえことにルールを探す、
そのクッソ地道な努力を科学って呼んでるだけだ……!!
(“Dr. Stone” 第1巻より)
そう、科学とは「謎解き」とそのための地道な方法論、そしてその結果や検証の積み重ねなのです。身近なものや世界の簡単な観察から簡単に導かれるものごと、広い世界の複雑な動きとその仕組、それらの奥に隠れた奥深いものごと、それを一歩一歩、見て、考えて、確かめて、積み重ねて行くのです。
小さな謎、大きな謎、いろいろなピースがちょっとずつ解き明かされた (と思った) ときのわくわく感こそが、科学の楽しさの最たるところだと思います。「?」が「!」に変わるとき、その感覚 が“Sense of Wonder” です。
科学の楽しさが伝わってくる SF も、多くの場合、序盤で大きな謎が示されます。たとえば、ジェームズ P. ホーガンの「星を継ぐもの」。
プロローグは、いつともどことも知れぬ場面です。何やらたいへんそうな感じですが、どういう状況なのか、なぜそうなったのかは描かれません。謎だらけです。
そして本編。近未来の月面で、真紅の宇宙服を纏った人間の死体が発見されます。死亡推定時刻は 50,000年前。これはいったいどういうことなのか?
周囲から見つかった他の遺物などを元に、この大きな謎がちょっとずつ解き明かされていきます。一つのひらめきが大きな進展をもたらすこともあります。「解った!」と思ったら、実は違って、また逆戻りすることもあります。見解が対立することもありますが、議論の結果、まったく違う着想に至ることもあります。
これらおよそすべてが「科学」の地道な努力の道のりです。
メインが死体を巡る謎解きだけに、地道な捜査で一歩一歩犯人を追い詰める、推理小説のようでもあります。実際、「星を継ぐもの」は推理小説ファンからの評価も高いそうです。
プロローグはいったいどういう場面だったのか、果たしてそこまで辿りつけるのか、わくわくしながら読んでみて下さい。
SF はときにあまりにも手強い相手を想像・創造します。たとえば、ちょうど先月 (2017/12) に NHK の「100分 de 名著」でも取り上げられた、スタニスワフ・レムの「ソラリス」に登場する「ソラリスの海」はそんな存在です。
遠い太陽を巡る惑星ソラリスのほぼ全面を覆う海は、単なる海ではなく、それ全体が生物らしい、ということが判っています。しかも、どうやら「知性」もあるような感じです (確かめることができないので、「感じ」としか言えません)。知性があるのならコミュニケーションを取りたいのですが、いろいろ試せど糸口が全く掴めません。
一方、ソラリスの海を調査するためのステーション内では、怪現象が起こっています。「怪現象」、としか言いようがないのですが、これはひょっとしたらソラリスの海がコミュニケーションを取ろうとしているのかもしれません。あるいは、本能的な行動のようなものなのかも?それも、確かめようがありません。
宇宙に知的生命体をみつけたら、(SF に限らず) まず何らかのコミュニケーションを取ろうとするでしょう。努力すればコミュニケーションは取れるもの、と、あまり疑いなく仮定するでしょう。でも、その前提が成り立たないことがあるかもしれない、と疑ってみるのが、科学的態度の一つであり、惑星ソラリスで起こっている状況です。
それほどまでに解らないもの、害がないのであれば、放っておく、というのも手かもしれません。しかし、そのような解らないものごとを前にわくわくし、少しでも理解したいと努力しそれを楽しんでしまうのが、科学の楽しさであり、人間の好奇心なのです。
方向性は違いますが、「星を継ぐもの」と同じジェームス P. ホーガンの「造物主の掟」のプロローグも、科学 (&工学) 的なおもしろさに溢れています。とある星で元々は環境改造用に送り込まれた単純なロボットたちが生物っぽく発展していく様子が描写されているだけなのですが、「なるほど、そうくるか!」という展開の連続で「本編よりもおもしろい」と言われる (いえ、本編もとてもおもしろいのですが) ほどです。見てみたいような見知らぬ世界を具体的に想像していくのも、科学や SF の楽しみです。
想像力で作る世界はファンタジーと思われるかもしれませんが、「充分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」(クラークの法則) とも言うくらいで、ファンタジー的なものも科学的思考で観察・考察してみれば、いずれ現実になるかもしれません。今でも充分に素敵な世界に次々と現れる謎を地道に解き明かしつつ、より素敵な未来を楽しみながら造っていければよいなぁ、そして、自分のやっていることが、ほんの少しでもそれにつながればよいなぁ、と、夢見ています。